キキモカきりんはテキーラがのめない

AAnother Side of The Party 日記にも書いたように、9月6日土曜日、Fさん宅でのパーティーに行ってきた。

その時のもようはこちらで→2003年9月7日(日)の日記

FさんとJさんは、幼稚園の頃からの知り合いということで、会ってすぐに、共通の友人の話で 盛り上がり、きゃあきゃあ言っていた。
それを見て、思い出したことがあった。

わたしがまだマレーシアにきて数ヶ月の頃。
わたしは日本で就職したことがなかったので、フルタイムで働くということが初めてだった。
勤務時間は長くて疲れるし、人と知り合うきっかけがめったにない仕事なので、
友達と呼べるような人はいなかった。
でも、時間的余裕も、精神的余裕も全然なくて、友達が欲しいと、強く思ってはいなかった。
そんなある日、ダンナとレストランで食事をしていた。
すると、二人の女性が手を取り合って、きゃあきゃあ喜んでいるのを目撃した。
仲のいい友達に久しぶりに再会した、そんな感じだった。
その瞬間、わたしは、頭をもやもやと囲んでいたけれどうまく感じることさえできなかった「孤独」を、 目の前につきつけられた気がした。
なんてことない話題を気軽に話せる、同年代の女の子の友達が欲しい。
別に、日本人でなに人でもかまわないから。
はじめてそう自覚した。

わたしはFさん宅で、たくさん話をして、とても楽しく過ごしたし、 ほかの人たちは幼なじみではない人にも分かるように話をしてくれたから、その時ちっとも孤独なんかでは なかったのだけれど、そんなふうに、孤独だったことを思い出したのだ。

ここで幼なじみを今からつくる、というのは不可能だ。
大体、わたしは日本でも引越しばかりしていたから、幼稚園からずっとつきあっている友達なんて、 そもそもどこにもいないのだ。
外国にいると、そのせいでいろんなことが奪われていると思えることがあるけれど、
ただそう感じているだけかもしれない。
それに、無理なことは無理だから、じゃあ何が無理じゃないか、自分に出来ることは何か考えたら、すごく 楽になれる。
わたしには例えば、高校時代の親友をうちに呼んで、ダンナとわたしと、彼女と彼女のだんな様と 語らうことはできない。
でも、仲のいい友達なら作れる。
英語も、うまくしゃべらなきゃって思っていたときは、しゃべれないことが恥ずかしくて、
コミュニケ−シンがうまくとれなかったりした。
今は、わたしは日本人だから、それを変えられないし、変える必要もないと思っている。
だから、英語がうまくしゃべれなくたって、誠実に耳を傾けて、自分の言葉でしゃべればいい。

あれから何年も経って、わたしは、ここでも友達といえる人たちを得た。
話をしながら、ワインを飲みながら、わたしはそんなことを思い出していた。
ステレオからは、Keiko Leeの、かすれているけれど力強い "Imagine"が流れていた。

2003年
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