さよならペナン島
     

「すべて予定通り」

200397日(日)、とうとう5年間暮らしたペナンを離れる日がやって来た。午前9:05KL行きのMH1139便に搭乗する為、午前7時前にThe Northam をチェックアウトした。ロビーでは女房が空港まで来れない友達と別れを惜しんでいる。そしてレンタカーにスーツケース4個とゴルフバッグ2個、それに山ほどの手荷物を積み込みGorge town を後にした。平日は渋滞するGreen Lane も日曜日ということで空いいる。ペナン島の交通事情は解っている。午前7:30Bayan Lepas 国際空港に到着した。予定通りだ。

出発ロビーには休日の早朝にも関わらず、会社の同僚やローカルスタッフ、そして友人達が見送りに来てくれている。私はレンタカーのキーをHRマネージャーのMr.Mahatirに渡して、後の処理を頼んだ。そして後任者に会社備品である携帯電話(登録電話番号は勿論消去してある)を引き渡した。そして赴任当時に流行っていたスパイスガールズの「Good bye」を口ずさみながら、スラバヤまでの片道航空券とパスポートを片手に搭乗カウンターに向かった。パスポートには就労許可キャンセルのチョップが押印されているし、個人所得税も払ってある。出国手続きに手抜かりは無い。全て予定通りだ。


「あなたは搭乗出来ません!」

ところが航空券とパスポートを受け取った女性職員の様子がおかしい。なかなか搭乗券を発行しようとしない。そして・・・・。

MH職員 : インドネシアの査証は持ってますか?
claytan : 無い。
MH職員 : それじゃ搭乗する事は出来ません。
claytan : なぜだ。
MH職員 : あなたの航空券は片道です。査証無しではインドネシアで入国出来ません。
claytan VBS(仮就労許可)は入国後に申請するから問題ない(汗)。
MH職員 : そんな事は出来ない筈です。
claytan : 申請書だって招聘状だってある。これを見てくれ(大汗)。

その女性職員は他の搭乗カウンターに消え、数人の職員と協議を始めた。ペナンでVBSを取得する時間が無かったので、インドネシア入国時にひと悶着ある事は覚悟していた。その際は「何とかしよう」と思っていた。しかしマレーシア出国でてこずるとは思ってもいなかった。まずい事になった。今日は見送りが大勢来ており、搭乗手続きに手間取る私に注目している。もし搭乗を拒否されたら 『あのぉ皆さん!! すんませーん。搭乗させて貰えないんで今日は止めにしますぅ。』なんて事になってしまい、翌日にはペナンで有名人になってしまう。数分後に偉そうな職員が出て来た。

MH職員 : インドネシアで入国を拒否されても責任はもてないぞ。
claytan : ネバマイン!
MH職員 : その際の帰国旅費も出せない。それでも良いか?
claytan : ネバーマイン!!


「さよならペナン島」

なんとか最悪の事態は避けられた。ところが安堵する私の元にローカルスタッフがミカン箱サイズの記念品を抱えて近づいて来た。検査ラインの女性オペレーター達からの記念品で、何とも趣味の悪い置時計であった。彼女等は安い給与からランチ代を削ってお金を出し合ったのである。私は彼女等と交流することはほとんど無かった。ムスリム女性は異教徒がむやみに接するとトラブルの元だからだ。ただし彼女らは心優しき女の子達であり、トゥドゥンを外せば華人より遥かに美人である事を私は知っている。既に機内持ち込み手荷物は限度を超えているが、空港職員には事情を話して機内に持ち込ませて貰う事にしよう。

最後に全員で記念撮影を済ませ「それじゃあね!」と言って搭乗口に向かう。すると奥様方の目が自然と潤んでくる。そしてあっという間に連鎖反応を引き起こす。この中学校卒業式のような「涙のお別れ」が苦手で静かに帰る方も多い。ペナン島では沢山の友達に恵まれた。楽しかった事も辛かった事も、今では何もかもが懐かしい。しかし私はインドネシア入国審査の事を考えると感傷に浸れる気分ではなかった・・・・。


20031218日)

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