父危篤、すぐ帰れ。
 

日本の親会社からの業務監査を翌日に控えた1113日のことである。同僚の元に訃報が届いた。義理の弟が心不全で急逝したのである。享年42歳と言う若さである。奥様に帰国をせがまれ一瞬悩んだが、結局は彼は仕事を取った。私も同じような経験があるので気持ちはわかる。

1999217日の夜8時の事であった。春節休暇をランカウイ島で過ごし、帰宅すると同時に電話のベルが鳴った。受話器を取った女房の声色が変わった。彼女の父親が昨日、くも膜下出血で倒れ危篤となり、その晩が峠なのである。彼女は迷わず「私すぐ帰る」と泣いた。しかし車を飛ばして駆けつける訳には行かない。しかも春節休暇でトラベルエージェントは閉まっていて、フライトの確認は出来ない。

KL発日本へのJAL便は夜中の11時過ぎである。「KLまで行けば日本航空地上職員もいる事だし、なんとかなるさ。」 とにかくペナン空港へ向う。パスポートと現金だけ持って空港に着いたのは9時前である。すぐにチケットカウンターに向かうが既にクローズである。職員を捕まえて「助けて欲しい・・・・。」と食い下がるが、「私の仕事は終わった。」とけんもほろろの対応。彼の顔は一生忘れない。我々は絶望し、結局彼女は翌朝空港でノーマル料金でチケットを購入し帰国した。

海外駐在員は平穏に暮らしていれば、お気楽に見える。それがひとたび事故や訃報等の緊急事態が起こると、成す術がなく絶望する事になる。後に保険会社やJAL職員に聞いた話だが、こんな話は日常茶飯事であるという。もちろん一刻を争う急病の際は、シンガポールで手術するためにジェット機をチャーターする事もあるという。ただし身内の不幸が理由で強引にフライトを確保することは、よっぽど航空会社幹部と個人的に知り合い出ない限り不可能という。

彼女は父親が一命を取り遂げ、容態が安定したため1ヵ月後には帰馬した。しかし8月になると彼女の父親の容態は再び急変し、彼女は再び帰国した。そして数日後に亡くなった。

(1999218)

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