不確定性原理


お砂糖があります。

なめてみましょう。

うん、甘いです。

砂糖は甘い事は、幼稚園児でも知っています。

・・・ってあれ?それ本当ですか?

「砂糖をなめたら甘かった」のは確かにそうです。だけどだからと言って「砂糖は甘い」と言えるのでしょうか?

というのは、味をみるためには、必ずなめますね。という事は唾液 と砂糖が混じりますね。と言う事は、甘いのは「砂糖が唾液に溶けたもの」が甘いのであって、「砂糖が甘い」かどうか分からないじゃないですか。砂糖は唾液と化学反応して甘くなるかも 知れないでしょ?

じゃあ、砂糖の本当の味は、どんな味なんでしょう?

分かりませんよ、そんなこと。なめなきゃ味が分からないし、 なめると砂糖の味じゃなくなるし・・・・。

これは「現代科学の科学力では 分からない」のではなくて、「本質的に分かり得ない」のです。「原理的に決められない」んですよ。


おいしそうなパンがあります。この味を調べましょう。

一口パクリと食べます。三回ほど噛みました。

う〜ん、よく分からない。だからもっと噛んでみます。段々味が口いっぱいに広がって、おいしさが堪能できました。噛むほどに甘さが増してきます。

ってあれ?これもおかしい。

口に入れたら唾液と反応しますから、それはもう、パンじゃない。

でも口に入れた直後は、あまり反応していませんから、割と「本当のパンの味」に近いでしょう。しかし、これでは味はよく分かりません。

で、よく味わうと、パンと唾液が反応して、もとのパンとは違う物になっています。

パンは噛むほどに甘く感じると思います。それは唾液に含まれるアミラーゼという酵素と、パンに含まれるデンプンが反応して、麦芽糖に変化したためです。 さて、これははたして「パンの 味」と呼べるでしょうか? 明らかに化学的な成分は、売っている時のパンとは違います。

ちょっとしか味あわ なければ、パンの味は良く分かりません。しかしパンの味には近いです。よく味わえば、味は良く分かります。しかしそれは、本来の パンの味とは違うものです。

さて、では「本当のパンの味」を正確に知るには、「ちょっとだけ噛む」のと「よく噛む」のでは、どっちが良いのでしょう?

どっちとも言えませんね。

「本当のパンの味」なんて、「正確には」決められないわけです。 どう頑張っても、一定以上の誤差が含まれます。誤差は「本質的に」 零にできないんです。

(少なく噛むと「味を感じ難い」せいで誤差が 出る。良く噛むと「味が変わる」せいで誤差が出る。)


実はこの事は、「味」の話には限りません。実は全ての物事に言えます。

最近貴方はA君と知り会いました。

彼の性格を把握するため、 彼といろんな話をしたり、遊んだりしました。

その結果、A君の性格はだんだん分かってきました。

・・・・・って、これもおかしいんです。

A君を知るため、貴方がA君と話したり遊んだりする事で、A君自身も変化します。貴方との会話で、たとえわずかでも、A君の性格は変わりますから、貴方がA君を把握するころには、最初のA君とは違う人になっています。

詳しく知ろうと、深くつき会えば、それだけA 君への影響は大きく、A君の変化は大きくなります。かといってA君への影響を小さくするため、付き会いを浅くしたら、A君を良く知る事はできませんね。

つまり元のA君の性格は、絶対に分かり得ないのです。

なぜか?

そう、「味」にしても「A君 の性格」にしても、「物事を知る(決定する)」ためには「観測(観察)する」事が必要で、「観測すると観測対象(砂糖・パン・A君)は変化する」事が避けられないからです。

この世の全ては、正確に(はっきりと)決定する事は(本質的に)できない」これは現代科学の基本です。この事を「不確定性原理」と言います。

「決められない」「決まらない」「分からない」事は悪い事ではありません。劣った事ではありません。それが本質 なんですから。


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