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Ferrymead
カンタベリー地方の歴史
カンタベリー地方に移民してきた最初の白人達は、その船をリトルトン港に下りた。移民者達は険しい丘を越え、ヒースコート川を渡り、クライストチャーチの町へ歩いてたどり着くことになる。 沢山の移民達はferryman(フェリーマン=渡し守)を使い、ヒースコート川を渡った。このエリアが後に、Ferrymead(フェリーミード=meadow と ferryが重なった。)とよばれるようになる。 いくつかの小さな波止場が蒸気船、帆船が安全に渡れるためにつくられた。1864年 スイングブリッジ(移動式橋)が造られたことにより“渡し守”の仕事がなくなった。 1863年12月、ニュージーランド最初の鉄道として、フェリーミードからクライストチャーチが開通する。5フィート3インチゲージの鉄道幅でクライストチャーチまで7キロの道のりであった。 50馬力の英国製「ピルグルム」(最初の移住者という意味)が発車したのである。40の貨車と4両の客車がメルボルンでつくられた。2台目の機関車とその他ローリングストックは発注されていた。クライストチャーチに移住してくる人々の増加に伴い、このエリアは欠かせなく、大変繁栄したのであった。 4年後、トンネルの開通に伴い、リトルトン港から直接クライストチャーチにはいれることになる。そのため、フェリーミードを経由する必要がなくなり、ニュージーランド初の鉄道はその名誉を「最初に廃線した鉄道」という、なんともいえない2つの「初」名誉とともにあっけなく幕を閉じてしまった。トンネル開通は、フェリーミードエリアの繁栄を妨害し、「入り口」フェリーミードも幕を閉じたのである。 駅にあった待合室、交番、刑務所、その他色々な建物が取り壊されたり、移動したりして、フェリーミードは元の草原然とした寂れた町となり、1968年1月に「Ferrymead Historic Park 」が開園されるまで、静かにカモ達の憩いの場所となっていたのである。
機関車、車両 機関車やその他の車両は1877年、鉄道幅が3フィート6インチゲージに規格統一されるまで、その他のカンタベリー地方で使用された。 1878年、規格外の古い鉄道車両は全て、南オーストラリアに売られ、運ばれることになる。 この車両を乗せた船はニュージーランド沖で難破するが、車両は助かり、オーストラリアでまた活躍することになった。 移民達が渡った橋 1864年の最初の橋の全長さ120フィートで、中央部分76フィートに鉄製回転式橋があり、人間等が越えられた。 1907年、新しい橋が開かれる。これは中央鉄製部分が30フィートあり、4タワー分持ち上がりその下を船が行き来できるようになる。 この新しいタワーブリッジ開式の折、橋の持ち上げに失敗、元の場所に戻しはしたものの二度と持ち上げることはなかった。1967年に改築されるまでこの橋は利用された。
クラブのディスプレイ まだ、建設途中ではあるが、このころのフェリーミードが再現できればと思っている。
バックグランドミュージック このページから聞こえてくる音楽は、フォークソングで、移民達が家族や友に永遠の別れを告げる歌である。英語の歌
詳細、写真、最新情報等は追々このページで紹介していきます。
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1999年02月1日よりの
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