![]() 元気の秘訣とサバイバル根性を求めて |
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ラテンアメリカから世界ヘ 1.カルロス・ゴーン 2.ルベン・ブラデス 3.チェ・ゲバラ 4.アレックス・ロドリーゲス 5.チラベルト 6.ヒクソン・グレイシー 7.リョウト ラテンアメリカの基礎知識 1.ラテンアメリカ総論 2.ラテンアメリカの言語 3.ラテンアメリカ文化 4.ラテンアメリカの料理 ラテンアメリカ案内サイト ブラジル パナマ パラグアイ アルゼンチン ラテンアフリカ カーボベルデ
国際サバイバル道場 ユートピアへの挑戦 ![]() ![]() ![]()
2.猪木の秘蔵っ子LYOTOが初陣飾る 3.LYOTO、猪木直伝の秘技. 4.PANCRASE:第4試合 総合格闘技ルール LYOTO 対謙吾 5.格闘速報 新日本プロレス「ULTIMATE CRUSH」 6.格闘速報 イノキボンバイエ2003〜馬鹿になれ夢をもて〜 7.格闘速報 K-1 BEAST 2004 〜新潟初上陸〜 8.MMAランキング − TOP12 9.K-1新潟大会一夜明け会見/K-1 MMA旗揚げ大会 10.現代のコンデ・コマ町田嘉三 11.リョウトへのインタビュー 12.リョウトへのインタビュー2 |
〜アマゾンで育った武道家のDNA〜
![]() リョウト・カルヴァーリョ・マチダ 猪木事務所所属 1978年5月30日生 ブラジル・バイーア州サルバドール出身 身長185cm/体重 94kg 父を日本人に、母をブラジル人にもつ日系ブラジル人。 父親が日本で大学時代に空手の学生選手権優勝者、ブラジルに移住してからも ブラジル人に空手を教えながら技を磨き、ブラジルでも最高レベルの大会で優勝。 この父から幼少より伝統空手を習いだす。さらに空手だけにあきたらず、相撲・ 柔術にも馴染む。10代は格闘技に明け暮れる日々をおくる。 少年期にはブラジルで行われた空手と相撲の大会で優勝している。 2000年夏にブラジルを訪れた猪木に弟子入りを直訴。 猪木をして「俺の後継者はこいつしかいない!」と言わしめた。 現在はロス道場を中心に柔術、空手、ボクシング等の技術習得に励む毎日。
![]() ---------------------------------------------------- 猪木: 元気ですかー! 元気があれば何でもできる。元気な今夜は何の日か。 そう、PRIDEの日。そして、高田選手の新しい旅立ちをする日。たかが高田の 引退。リングをされど、高田は高田。もうすぐ寒い冬。秋は行ってしまうけど、 高田の奥さんは向井亜紀。 人を紹介します。今から42年前、ブラジルにいた時に私の師匠である力道山に 見出されました。そして時代は流れ、先日ブラジルに行き(連れて来ました)、 パンアメリカンの空手チャンピオン、柔道、相撲のチャンピオンである日系2世の マチダ・リョウトを紹介します。 マチダ: 元気ですかー! 僕は今、父の国、日本に帰ってきました。頑張ります。 猪木: それでは、マチダご苦労さん。(ここで高田選手に向けて)この道をゆけば、 どうなるものか。危ぶむなかれ。危ぶめば、道はなし。踏み出せばその道が道となり、 その道が道となる。危ぶむなかれ、行けば分かるさ。迷わず行けよ、行けば分かるさ。 行くぞー、1、2、3、ダァー! ●スカウトしたリョウト選手について記者会見でのアントニオ猪木談 ![]() 今、南米の方というのはビザを取るのが観光客でも大変なんです。でもまぁ、 あと弁護士の保証書を持っていけば、必要な書類が揃っていつでも出れる状態 になると、担当者とも確認を取りましたんで、いずれ近い機会に皆さんに紹介 できると思います。」
1戦目: 2003年5月2日 東京ドーム 新日本プロレス「ULTIMATE CRUSH」 謙吾へヴァーリトゥードマッチで3-0判定勝 ![]() 2戦目: 2003年9月13日 ブラジル アマゾン州マナウス 「ジャングルファイト」 ステファン・ボナーを1RでTKO ![]() 3戦目:2003年12月31日 兵庫・神戸ウイングスタジアム イノキボンバイエ2003 〜馬鹿になれ夢をもて〜 リッチ・フランクリンを公式総合ルールで2Rに左ストレートでKO ![]() ここでリョウトはリッチ・フランクリンという米国アルティメットファイティングでの15戦無敗 の強豪とぶつかる。リッチ・フランクリンは192cm/99.8kg で、185cm/94kgのリョウトをしのぐ体格 差があったが、第2ラウンドの1分目にリョウトの左ストレートが決まりKO勝ち。ファイトも技も パワーも申し分のない戦い振りにこの試合を見た格闘技マニアたちを驚かせた。 写真をクリックすれば拡大します。 4戦目:2004年3月14日 新潟コンべンションセンター K-1 JAPANスペシャル K-1 BEAST 2004 〜新潟初上陸〜 強豪マイケル・マクドナルドにギロチンチョークで勝利 ![]() マイケル・マクドナルドはK-1試合においてミルコを下したカナダのムエンタイ出身のK−1ファ イター。実績は、K-1:62戦/47勝/15敗/16KO 総合格闘技:1戦/1敗と、打撃系では実力者。 主なタイトルはW.K.K.C 世界クルーザー級チャンピオン/カナダヘビー級チャンピオン/W.K.A.北米 ヘビー級チャンピオン/K-1 WORLD GP 2001 北中米地区予選トーナメント準優勝/K-1 WORLD GP 2001 in メルボルン 第3位/K-1 WORLD GP 2002 北中米地区予選トーナメント優勝/K-1 WORLD GP 2002 世界予選 優勝/K-1 WORLD GP 2003 in Las Vegas 準優勝/K-1 WORLD GP 2004 in Las Vegas 優勝など。 LYOTOは、デビュー以来4勝0敗となった。 マイケル・マクドナルドは、MMAルールでは初試合ということで、ギロチンがきまったらあっけ なくタップしたが、リョウトももともとは空手出身者なのでいつか打撃での戦いを見てみたいものである。 5戦目:2004年5月22日 さいたまスーパーアリーナ K1 FieLDS ROMANEX 〜格闘技世界一決定戦〜 サム・グレコに判定2−1で勝利 ![]() 主なタイトルは、コモンウェルス空手道選手権3連勝/カラテワールドカップ'94 優勝/ オーストラリア版K-1 覇者/K-1 GRAND PRIX '96、'97ベスト8/WAKO世界スーパー ヘビー級王者/K-1 WORLD GP '98 第3位/WAKO世界ムエタイスーパーヘビー級王者 '99など。 K−1MMAルールによるこの試合で、リョウトは、スタートからタックルでテイクダウンしサイド ポジションをとりうまい攻勢をみせた。しかし十字とりが失敗し、決定的な決まり技が無かった。 ほぼ互角な戦いで判定はリョウトに軍配があがったが、グレコは不満を表す。しかし、これだけの経験 豊かなベテランに優勢な戦い振りを見せたリョウトの実力は頼もしいものがあった。 サム・グレコも総合格闘技をやってはまだ3年しかないといい、リョウトは総合格闘技の選手なのだから チャンと決めてほしかったというコメントを残しているが、リョウトはもともとサムと同じ空手家で、 アントニオ猪木に弟子入りして総合格闘技をやりだしてからまだ2年もたっていないのは知らないのだ ろうか。
by Genichiro Ito
リョウトの強さの秘訣はなんといっても受け継いだ遺伝子と育った環境だろう。 父親が日本とブラジルの空手選手権で優勝した実績を持つ空手の先生で、ブラジルの空手界では 有名な存在なのだ。そして4人の兄弟たちもみんな小さい頃から空手を一緒に習い、道場と住居が 一緒の時代に育った。そしてその道場では柔道も相撲も習い、修行してきた。つまり明けても暮れ ても武道ばっかりやって育った生粋の武道一家なのだ。また、銃刀類の所有が許されている治安 の悪いブラジルでは実戦に通用しない空手では長生きできない環境がある。 そしてリョウトが暮らすベレンの町は、グレイシー柔術の発祥地でもあり、父の町田さんは、 ブラジルに柔道と柔術を持ち込んだコンデ・コマを記念して作られたコンデ・コマ・アカデミー の名誉会長も務める。 アマゾンに渡った空手チャンピオン リョウトの父町田嘉三は、1968年移住船アルゼンチナ丸でアマゾンの入り口のベレンに渡った。 日大空手部出身の空手バカで日本学生空手選手権の優勝者だった。ブラジルへ移住する船の中でも 空手の稽古をし、たくさんの生徒までできてしまった。 アマゾンでの仕事は、先輩から声をかけられた開拓地造成のための測量仕事。まったく未開の アマゾンのジャングルを測量機械を担いで歩き回る危険な仕事。しかし、1年後彼は空手がやりた くて、大都会に飛び出る。そして当時日本よりも景気の良かったサンパウロやリオデジャネイロ などで空手の指導に明け暮れる。彼はブラジルの空手選手権でも優勝した。 ![]() しかし彼の空手人生で出来た一番の財産は、なんといっても彼の子供たちだろう。 アマゾンのジャングルに入った「空手バカ」の子供たちとは、空手チャンピオンの遺伝子を受け 継ぎ、そして空手の先生である父親を尊敬し、弟子としても優秀な習得ぶりを見せてきた。そして 格闘技に関心の高いブラジルで、最強の格闘家となるための最高の条件に囲まれて育っている。 その中で、三男のリョウトは体も大きく、空手以外にも相撲にも才能を見せた。父親の総合武道 道場で空手を指導しながら、彼は格闘家として生きる道を選択した。
2002年にブラジルに大学の研究施設のプロジェクトで派遣されていた私は、2月に町田さん の家でアマゾン河の泥がにや魚をたらふくご馳走になっていた。 私は彼が南米に移住した時の同船者である。 当時南米へ向かう退屈だった50日もの航海中に 私の兄は町田さんから空手を習い、その後、パラグアイのジャングルで開拓に明け暮れながら私 に覚えたての町田空手を教えてくれた。つまり私は町田先生(Lyotoの師であり父親)の孫弟子に もなる。 そして30年が過ぎ、サバイバル学校を造る夢を暖めていた私は、インターネットで、町田さん が学校を造る夢をもっていることを知り、彼に会いに行きたくてアマゾンに仕事を仕掛けた。 アマゾン開発と環境保全の国際シンポジウムだ。そして仕事を片付けた上で、町田先生にベレンを 案内されながら夢のプロジェクトを交換しあった。 ![]()
左から町田嘉三と息子たち、次男、三男リョウト、四男、長男、そして作者。
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